あかがしの家,そしてフィールドワーク





佐世保在住の自然を愛する人々が,世知原の山手に農家家屋を借り上げている。
名前は「あかがしの家」。
かつての主を失った家屋が,新しい主たちを得ているのだ。夏休みなどには子ども達の自然学級も開かれることもあるし,気心の知れた大人たちの交流の場にもなる。

そこには土間があり,竈があり,囲炉裏があり,そして五右衛門風呂がある。訪れた人は,丸ごと昔の生活を味わうことができる。




フィールドワークの前夜,私たちはこの家屋を宿とした。

世知原の黄色に塗られた道路から山手に上がっていく。道なりに登る。この写真の所だけは左に行く。行き方はいつも迷う。

あかがしの家から眺めた周囲。






囲炉裏端に円座となる。
夕食はだご汁,焼き肉など。酒は焼酎。
そして,あめふらしさんから,風水の話をお聴かせいただく。

シンポジウムとはこういうものをいう。古代ギリシアに始まったシンポジウムは,本来一献傾けながら,テーマについて語り合う形式であった。薄っぺらな知識が剥ぎ落とされ,私たちの頭の中に新しい視界が開けてくるのを実感する。

ご案内のとおり風水は,歴史的都市を語る上で,なくてはならぬ知識だ。あめふらしさんは,風水が一族の発展を前提とした古代からの知恵であり,昨今の風水の変容を嘆かれた。往々にして都市はその建設時,現代人の常識を越えた視点が入り込み形成されている。佐世保の弓張岳と烏帽子岳と電波塔が2等辺三角形を描く関係に位置しているとの指摘に興味津々のメンバー。
ここには昔の生活がある。

炊事場。土間である。ガスあり,鍋,食器類,冷蔵庫すべてあり。食材だけを持っていく。

囲炉裏の炎は,それだけでつまみだ。

風呂を沸かす。

風呂は昔懐かし,五右衛門風呂である。



一夜明けて






本日の講師は中島眞澄先生。地域史のエキスパートでいらっしゃる。本日は先生の御案内で佐世保のフィールドワークを行わせていただいた。

弓張岳より佐世保港を望む。岸壁の,左側が米軍施設,右側がSSK。
佐世保重工業(SSK)内へ。米軍との関係でニュースで取りざたされている立神係船池を見学。写真が問題となっている第4,5岸壁だ。写真に写ったレールより右側が国有地である。御案内頂いたSSKの方によると,ここは移動クレーンなどの施設が整えられ会社の心臓部にあたるという。ここを期間を申請して使用している。月の接岸料200万円。米軍は状況に応じ適宜使用を申し出てくるという。国内の他地域でこのように民間と軍の措置が混在している例はない。
SSK敷地内から望んだ立神係船池。クレーンより右側が米軍施設。

青が米軍,白がSSKの配管。米軍のユーティリティにあたる配管が着々と整えられている。 この後移動して,米軍施設である針尾島弾薬集積所前へ。市長は前畑にある佐世保弾薬補給所の内容もこちらに移動させるむねを発表している。







ハウステンボス橋の袂に道祖神「塞の神社」が祀られている。道祖神は一般に子宝や豊穣を祈るものとして知られている。しかしこのように村はずれに祀り,他エリアから疫病等の進入を防ぐものともされていた。 長崎国際大学の敷地はかつて大手原塩田であった。寛政8年潮止め着工,寛政11年迄に12町歩の塩田が完成。全域12ヘクタール。明治13年の記録によれば,塩浜年3回焚きとして,1回に平均千俵〜二千俵が産出している。

針尾島にある小田新田。1700年代なかばより小値賀出身の小田氏により開かれる。佐世保の新田は,島嶼部出身者によるものが多い。写真奥にハウステンボスが望める。
現在のハウステンボスの地は戦国末期,平戸領と大村領に分けられ,その境がハウステンボス橋にあたる。ここで境目争いが続いた。ここがえびや小魚の宝庫であったことと,ハウステンボスの南2キロ沖の大村湾に浮かぶ横島に続く磯根がなまこや真珠の宝庫であったためだ。争いは18世紀なかば,ここに赤子新田が作られると激化したという。