- 田屋敷酒散人
いつもの塾開催、と言ってもいつもの飲み会。「くれたけ」に行く。生簀にまるまると肥った「ふぐ」が泳いでいる。亭主に聞くと「四キロはある」といい、四万円。東京では三倍の十二万円取るらしい。
塾生と話す。
棟梁はまだ子供が幼いうち奥さんが亡くなった。二人の子供は後妻に馴染まず、間で苦労したそうだ。三十過ぎの先妻の子がこのほど結婚するという。祝辞を頼まれた。
自動車屋の姉は近隣の農家に嫁いだが、義父にいじめぬかれ自死したそうだ。つらかったろう。が、ここも忘れ形見の長男が結婚するという。
みな心の中に溶けない瘤の二つや三つ抱えながら生きている。しかしそんな泣きの瘤が次世代の喜び事で少しずつ溶けるのだろう。
自動車屋は初孫の為に四本の鯉のぼりを挙げた。「みーんな 吹き流せ!」と鯉のぼりに呼びかけるがいい。
- 捨老
うすら酔いで船大工町を歩いていると 酒屋のあたりに一見袋小路のような路地がある。突き当りに小さな祠が祀ってあるのが他の路地とは違う。小さな石段が右手に上っていて、忍び坂と言うそうだ。祠までの短い路地に 昔から数件の看板が犇めいている。何時だったか昔、そのどん詰まりの「花代」と言う看板の店に入った。
ドアを開けると椅子が五・六個並ぶ程度のカウンターがあって、若づくりして四十がらみに見えるママが愛想良く迎えてくれた。這入り口の席に座ったのは、奥に先客が居たからだ。どの町でも出くわす暇な店の背後霊のようなアノ手の客だ。そのジトッとした視線を出されたオシボリで拭き落とし座ると、間にもう客は座らないだろう席が三つ四つ残った。水割りを一杯飲んで早々に店を出た。
二ヶ月ほどして、うすら酔い気分でふと同じ路地を一瞥すると、どん詰まりの看板は「洋子」となっていた。よせば良いのにまた入ってみた。内装は以前のまんま。ママだけが少し若く元気がよさそうな別人だったが、奥の背後霊はそのまんまジトッと壁際に張り付いていた。
近頃 またちらっと路地奥を見たら「美鈴」とか「綾子」とかになっているようだった。怖いもの見たさと言う気分もないわけじゃなかったが、やめといた。こうなると 次回は何という名か気になったりもする。
- しんのじ
銅座・銀鍋ビルにほど近いある街角にひっそりと立つ某雑居ビルの一角に、Mさんの店がある。
Mさんは僕と年齢がほど近い、屈託のない明るい姉御肌の女性だ。体調のいい時はいつも周りを明るくしてくれたし、少々辛い時も、常に相手への気配りを欠かさない魅力的な人間だった。
ある日、彼女は非情な決断を迫られることになる。病が進み、ついに気管切開をしなければ危ない状況となった。そうなると、普通に話をすることは諦めなければならない。気丈にも、彼女は声を捨てる覚悟を決めた。それから数日後、彼女の首の中程には直一センチの穴が開き、そこから息をするための「く」の字に曲がった短い管を入れて生活することとなる。
その後、やりとりは携帯の画面に彼女が打ち出す文字を介してとなった。まさに今で言う「筆談ホステス」の走りみたいなものだ。そんな大変な状況になっても、彼女は依然として彼女のままであり、明るく強く、常に前を見ながら過ごしていた。
痛みや発熱やいろいろな症状と闘いながら、奇跡的に某年末、小康状態を得ることができた。彼女は、その頃には気管の穴を時々塞ぎながら、小さな声でささやくように話すことが出来るようになった。病室を訪れた僕に、明るい顔で、しかし毅然と囁きかけた。「私、ボーナス時期に一稼ぎしたいから、一度お店に戻りたいのよ」
常識ではとても考えられなかった。本当にびっくりしたが、彼女ならその決断もあり得るという気がしてきた。おそらく彼女自身、死期がそう遠くない先に待ち構えていることを感じていたに違いない。
本当に彼女はやってのけた。僕は彼女の一時退院が決まってからというもの、ハラハラするやらワクワクするやらで、すごく複雑な気分になった。少し自宅療養し、体調と相談しながらカムバックすることは知っていたが、退院数日後にはもらった名刺に書かれた住所に足を向けていた。少々煤けてはいたものの、彼女のお店はひっそりと主の帰りを待ち構えていた。
それから一週間ほどして、彼女はお店を再開した。元常連さんたちは感無量で、連日お店を訪れたらしい。超人的なエネルギーを発散しながら、ほとんど声も出ない、いわんや立って水割りを作るだけでも限界に近いはずの彼女は2週間、自分の店で勤め上げた。
疲れ切って、ぼろぼろになって病棟に帰って来た彼女は、しかし清々しい笑顔で最期の数ヶ月に及ぶ療養生活を終えた。彼女は独身だったが、熱烈なファンが再入院後しばしばお見舞いに訪れていたと聞く。
また看板が煤けてしまっているが、あるじのいない彼女の店は、今もビルの一角にひっそりと残ったままだ。彼女のあっぱれな仕事っぷりを、無念にも僕は見届けることが叶わなかった。もう少し先のことだとは思うけれど、Mちゃん、僕がそっちに行ったら、ちょっと旨い肴を食べさせてね、頼むよ……。
- 散人
昨夜東京から同期生(高校時代)がやってきたので五人で飲み会をした。在東京のT君がやって来た理由は、同じ部活(バスケ)であったM君を励ますためにだ。M君は先月余命半年を言い渡された。100キロの巨漢であったM君は今は75キロまで落ちたという。
M君は終始明るくしていた。Ma君の妻は一昨年ガンで亡くなった。「やってあげられる限りやったと思う」と云った。東京のT君の娘は優秀で外資系商社に入ったが強度の鬱に罹り自殺企図を二度ほどしたという。最近快方に向かっているそうだ。
思い出話に花がさいた。余命半年のM君は煙草を吸いながら終始にこやかにみんなの話を聞いていた。誰もタバコは止めろとは言わない。会も終わりになり店を出たとこでM君は「今日はありがとう」と云って四人と握手した。東京のT君とは少しだけながかったようだ。もう会えるかどうか分からないからだろう。
雨が降って来た。私はみんなと分かれ彼女の待つ店に向かった。ラインを見ると「タバコ買って来て」と入っていた。